三顧の礼
意味:目上の者が目下の者に礼を尽くして物事を頼む
※「危急存亡の秋」の続き
「私(諸葛亮)はもともとただの庶民で、南陽で自ら畑を耕して暮らしていました。乱れた世の中で、ただ命を全うできればよいと思い、諸侯に仕えて名を上げようなどとは考えていませんでした。しかし先帝(劉備)は、私の身分の低さを問題にせず、わざわざ身を低くして三度も草庵を訪ねてくださり、当時の情勢についてお尋ねになりました。私はそのご厚意に深く感じ入り、ついに先帝のために奔走することをお受けしたのです。その後、国が傾く変事に遭い、敗軍の中で重い任務を受け、危難のさなかで命令をお預かりしました。あれからすでに二十一年になります。先帝は私の慎み深さをよく知っておられたので、亡くなられる際に国家の大事を私に託されたのです。
そのご遺命を受けて以来、私は朝夕心を悩ませ、託された務めを果たせず先帝のご明察を損なうことを恐れてきました。そこで建興三年(西暦225年)五月に瀘水を渡り、不毛の地(南方)へ深く進軍しました。今では南方もすでに平定され、兵も十分に整っています。今こそ三軍を率いて北へ進み、中原を平定し、つたない力を尽くして反逆者を除き、漢室を再興し、都を旧都へ戻したいと願っています。これこそが、先帝に報い、陛下に忠義を尽くす私の務めなのです。
政治の細かな調整や諫言を尽くすことは、郭攸之・費禕・董允の役目です。どうか陛下は、賊を討ち、漢室を復興するということを私にお任せください。もし成果がなければ、私の罪を正して先帝の御霊にお伝えください。もし徳を興すような成果がなければ、郭攸之・費禕・董允の怠慢を責め、その過ちを明らかにしてください。陛下もまた、よく自らお考えになり、善き道を諮問し、正しい言葉を受け入れ、先帝の遺詔を深く思い起こしていただきたいのです。私はこの恩に耐えがたいほど感激しております。今まさに遠征に出ようとし、出師表を奉るにあたり涙が止まらず、何を申し上げてよいか分からないほどです。」
『出師表』




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