鶏鳴狗盗
意味:くだらない能力も時には役に立つ
(斉の孟嘗君は数千人の食客を養い、身分の高低にかかわらず平等に扱っていた。)
斉の湣王二十五年(紀元前298年)、孟嘗君は再び斉から秦へ使者として赴いた。秦の昭王は孟嘗君を賢人と認め、すぐに秦の宰相に任じた。ある者が昭王にこう進言した。「孟嘗君は賢く、しかも斉の名家の出です。そんな人物を秦の宰相にすれば、必ず斉を先に立て、秦を後回しにするでしょう。秦にとって危険です。」昭王はこれを聞いて心変わりし、孟嘗君を捕らえて殺そうと企んだ。孟嘗君は密かに人を遣わし、昭王の寵姫に助命を願い出た。寵姫は言った。「わたくしは、あなたの持っている狐白裘(白狐の毛皮の衣)が欲しいのです。」そのとき孟嘗君は、天下に二つとない千金の価値の狐白裘を一着だけ持っていたが、それはすでに秦王に献上してしまい、他にはなかった。孟嘗君は困り果て、食客たちに相談したが、誰も答えられなかった。
そのとき、末席にいた「狗のように盗むこと」を得意とする者が言った。「私が狐白裘を取ってまいりましょう。」彼は夜、狗のように秦の宮殿の倉庫の中に忍び込み、献上した狐白裘を盗み出して寵姫に渡した。寵姫は昭王に口添えし、昭王は孟嘗君を釈放した。孟嘗君は釈放されると急いで逃げ、伝馬を乗り継ぎ、名前を変えて関所へ向かった。夜半、函谷関に着いたが、函谷関の規則では夜に通ることはできず、鶏が鳴いてからでなければ人を通さないこととなっていた。孟嘗君は追手が迫るのを恐れた。すると、また末席の食客の一人が「鶏の鳴きまねができる」者であり、彼が鳴くと、周囲の鶏が一斉に鳴き始めた。関守は夜明けと勘違いして門を開き、孟嘗君は通過した。
孟嘗君が出て間もなく秦の追手が函谷関に到着したが、すでに遅く追手は引き返した。もともと孟嘗君がこの二人を食客として迎えたとき、他の食客たちは彼らを恥じていた。しかし、秦での危機を救ったのはまさにこの二人であった。この出来事以後、食客たちは皆孟嘗君に心服した。
『史記 孟嘗君列伝』



コメント