背水の陣
意味:逃げ場のない状況で戦う
(漢の韓信と趙の成安君の戦い。決戦の直前、成安君は広武君が提案した奇襲作戦を却下する。)
韓信は人を使って間かに敵の様子をさぐらせ、広武君の策が用いられなかったことを知り、大いに喜び、軍を率いて井陘の道を下った。井陘の出口の三十里手前で止まって宿営した。夜中に出発の命令が伝えられた。軽騎兵二千人を選び、赤い幟を一つずつ持たせ、抜け道を通って趙の軍が見える所に行かせようとした。韓信は誡めて言った。「趙は私が逃げるのを見れば、必ず壁を空にして私を追うだろう。お前たちは急いで趙の壁に入り、趙の幟を抜いて我ら漢の赤い幟を立てよ。」そして副将に軽食を配らせて言った。「今日は趙を撃破して会食しよう。」将軍たちは皆信じなかった。うわべだけ応じて言った。「わかりました。」
韓信が参謀に言った。「趙はすでに有利な場所に壁を作っている。そして、敵は我らの大将の旗と太鼓が見えなければ、先遣隊を攻撃することはないだろう。私が険しい場所に引き返してしまうことを恐れるからだ。」そこで韓信は一万人の先遣隊を行かせ、井陘から出て水を背にして陣をしかせた。趙の軍はそれ見て大いに笑った。
夜が明け、韓信は大将の旗を立て、太鼓を鳴らして進んで堂々と井陘の出口から出た。趙は壁を開いてこれを攻撃し、やや長い間、大いに戦った。ここにおいて、韓信と張耳は偽って太鼓と旗を捨て、水を背にした陣の方へ逃げた。水を背にした陣は、陣を開いて韓信らを受け入れ、また激しく戦った。趙は予想通り壁を空にして、漢の太鼓と旗を奪おうと争い、韓信と張耳を追った。韓信と張耳が水を背にした陣に入ると、全軍が必死になって戦い、負けなかった。韓信が夜中に出しておいた二千の奇襲部隊は、趙が壁を空にして戦利品を追っているのを見ると、急いで趙の壁に入り、趙の旗を全て抜き、漢の赤い幟を二千本立てた。趙の軍は勝ちきれず、韓信を捕らえることができなかったので、壁に帰還しようとした。すると、壁の旗は皆、漢の赤い幟になっていた。趙の軍は大いに驚き、漢はすでに趙の王や将軍を捕虜にしてしまったのかと思った。趙の軍は混乱し、逃げ出す者がでた。趙の将軍が逃げる者を斬っても、逃げ出す者が後を絶たなかった。ここにおいて、漢の軍が趙の軍を挟み撃ちにして大いに撃破し、捕虜とした。成安君を泜水のほとりで斬り、趙王の歇を捕らえた。
『史記 淮陰候列伝』

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