蛟龍雲雨を得
意味: 世に出ていなかった英雄が、機会を得て能力を発揮する
呉の孫権は、周瑜を偏将軍に任命し、南郡(荊州の中心部)の太守とした。雋、漢昌、瀏陽、州陵の四県を領地として与え、江陵に駐屯させた。一方、劉備は左将軍として荊州の長官を兼任し、公安に本拠を置いた。劉備は孫権に会うため呉の都の建業を訪れた。
その際、周瑜は孫権に上奏して言った。「劉備は梟雄(ずる賢い英雄)の風格を持ち、関羽・張飛という熊や虎のような猛将を従えています。彼らが長く他人の下に甘んじるはずがありません。愚考するに、劉備を呉に移住させ、立派な宮殿を建て、美しい女性や遊び道具を与えて耳目を楽しませるべきです。そして関羽・張飛の二人をそれぞれ別の場所に配置し、私のような者が彼らを指揮して戦えるようにすれば、大きな事業を成し遂げることができるでしょう。今、土地を割いて彼らに与え、三人を一緒に前線に置いているのは、まるで蛟龍(水中にひそむ龍)が雲と雨を得たようなものです。池の中に収まり続けることはないでしょう。」
しかし孫権は、北方に曹操がいることから英雄を広く集めるべきだと考え、また劉備をすぐに制御するのは難しいと懸念して、周瑜の進言を採用しなかった。
『三国志 呉書 周瑜伝』




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