驥尾に付す
意味:優れた者に従って成果を上げる
※「天道是か非か」の続き
孔子が言った。「道を同じくしなければ、互いに話し合うことはできない。」それぞれの人が自分の志に従うということである。それゆえ、「もし富貴が求めるべきものであるのなら、御者のような仕事でも私はこれ行う。もし富貴が求めるべきものでないのなら、私は自分の好むところに従う。」と言われているし、「寒い季節になってはじめて松や柏の葉が散らずに残っていることを知る。」とも言われている。
世の中が濁った時にこそ、清廉潔白な人が現れる。富貴を重んずる者がいるからこそ、富貴を軽んじようと思えるのだろうか。君子は死後に自分の名が称賛されないことを心配する。賈誼は言った。「欲深い男は財産に殉じる。気性が烈しく節義に厚い士は名誉に殉じる。権勢を誇る者は権勢のために死ぬ。庶民は生きるだけで満足する。」
同じ明かりは照らし合い、同じ類は求め合う。雲は竜に従い、風は虎に従う。聖人が現れて万物の真価がはっきりする。伯夷や叔斉は優れた人物であったが、孔子によって聖人とされたので、名声はますます高まった。顔回は学問に篤い人物であったが、優れた馬の尾に付き従う(孔子に従う)ことによって、行いはますます知られるようになった。
岩穴に隠れ住むような者が世に出るかどうかは時の運による。このような人たちの名がすっかり消えて称賛されないのは、悲しいことである。庶民の居住地に住む人が、いかに行いを磨いて名を立てようと思っても、名高い人に頼らなければ、どうやって後世に名を残すことができるだろうか。
『史記 伯夷列伝』

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