晏子使楚
意味:無礼な相手に機転を利かせて堂々と応じる
斉の晏子が楚へ使者として赴いたとき、楚の人々は彼の背が低いことをからかうため、大門の脇に小さな門を作り、そこから入るよう促した。しかし晏子はその門を通らず、こう言った。「犬の国へ使者として行くなら犬の門を通る。しかし私は楚に使者として来たのだから、この門を通るわけにはいかない。」これを聞いた接待役は道を改め、晏子を大門から入らせた。
晏子が楚王に謁見すると、楚王は皮肉を込めて言った。「斉には人がいないのか?」晏子は答えて言った。「斉の都である臨淄には三百の街区があり、人々が袖を広げれば日陰ができ、汗をぬぐえば雨のようになるほど多くの者がいます。肩を並べ、足をそろえて歩くほどの賑わいがあるのに、どうして『人がいない』と言えるでしょうか?」
楚王は言った。「それならば、お前が使者として来たのはどういうわけなのか?」晏子は答えた。「斉では使者を派遣する際、それぞれ役割があります。賢者は賢い王のもとへ、愚かな者は愚かな王のもとへ使わされます。私は最も愚かゆえ、まっすぐ楚へ派遣されたのです。」
『晏氏春秋 内篇』

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