呉越同舟
意味:仲の悪い者同士が協力する
およそ敵地で戦う方法としては、敵地に深く入り込めば団結し、本拠地で戦うものは勝たない。豊かな土地を掠奪すれば全軍の食料は足りる。よく兵を養って疲れないようにさせ、士気を高めて戦力を高め、軍を動かして謀をめぐらし、敵からはかり知れないようにし、軍を行き場のない所に投入すれば、死んでも逃げるということがない。決死の覚悟がどうして得られないことがあるだろうか。みな力を尽くす。
兵士はいちじるしい危険に陥れば恐れなくなり、行き場がなくなれば心が固まり、敵地に深く入り込めば団結し、やむをえなくなれば戦う。ゆえに、こういった軍は、修めなくとも戒められ、求めなくとも戦い、拘束しなくとも親しくなり、法令がなくとも信じ合う。占いを禁じて疑いをなくせば、死ぬまでいく所がない。わたしの兵士に、残った財をなくし捨てさせるのは、貨物を憎んでいるからではない。残った命をなくし捨てさせるのは長生きを憎んでいるからではない。戦わざるをえない状況にするためである。
戦いの命令が発せられる日は、兵士たちは、座っている者は涙で襟をぬらし、横に臥せっている者は涙が頤で交わる。こういった兵士も行き場のない所に投入すれば、勇敢さで有名な専諸や曹劌のようになる。
上手に軍隊を用いる者は、例えば率然のようなものである。率然とは常山にいる蛇である。その首を撃つと尾が助け、その尾を撃つと首が助け、その腹を撃てば首と尾がともに助ける。軍隊を率然のようにすることはできるか。」と問われれば、「できる。」と答える。そもそも呉の国の人と越の国の人は憎み合っているが、同じ舟に乗っているときに嵐に会えば、まるで左右の手のようにお互い助け合う。こういうわけで、馬をつなぎ車輪を土に埋めても、頼りにはならない。軍隊を一斉に勇敢にさせるのは、政治の道であり、強くても弱くてもみなに戦わせるのは、地形の理である。だから、上手に軍隊を用いる者が、軍隊をまるで手をつないでいるかのように一体にさせられるのは、そうせざるを得ない状況にするからである。
『孫子 九地篇』

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