舟中敵国
意味:味方も裏切ることがある
魏の文侯が亡くなった後、呉起はその子の武侯に仕えた。ある日、武侯が西河を舟で下っていたとき、川の中ほどで振り返り、呉起に言った。「なんと美しいことか、山河の堅固さよ。これは魏の宝だな!」
呉起が答えた。「『徳に在って険に在あらず』です。昔、三苗氏は左に洞庭湖、右に彭蠡湖がありましたが、徳義を修めなかったため、禹によって滅ぼされました。夏の桀王は、左に黄河と済水、右に泰山と華山、南に伊闕、北に羊腸がありましたが、政治に仁がなかったため、湯王に追放されました。殷の紂王は、左に孟門、右に太行山、北に常山、南に黄河がありましたが、政治に徳がなかったため、武王に討たれました。これらの例から見ても、重要なのは徳であって険(地形の険しさ)ではありません。もしあなた様が徳を修めなければ、この舟の中にいる人々ですら、みな敵国の者となるでしょう。」
武侯が言った。「その通りである。」
『史記 孫子呉起列伝』

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