囲魏救趙
意味: 敵の弱点をつく
※「田忌賽馬」の続き
魏が趙を攻め、趙は窮地に陥ったため、斉に救援を求めた。斉の威王は孫臏を将軍に任命しようとしたが、孫臏は「刑罰を受けた身では将軍にはふさわしくありません」と辞退した。そこで威王は田忌を将軍にし、孫臏を軍師として輜車(物資を運ぶ車)の中に留め、作戦立案に専念させた。
田忌は趙へ直接兵を進めようとしたが、孫臏はこう言った。「絡まった糸をほどく者は、その糸を無理に引っ張ってはならず、争いを止めようとする者は、拳で殴りつけてはなりません。重要な要所を撃ち、空いている隙を突けば、自然と混乱は解けるものです。今、魏と趙が互いに攻め合っているため、魏は精鋭部隊を前線に出し、国内には疲弊した老弱兵しか残っていません。あなたが趙ではなく魏の都である大梁に向けて兵を急行させ、街道を占拠し、虚を突いて攻めれば、魏は趙への攻撃をやめて自国を守ろうとするはずです。これにより、一挙に趙の包囲を解き、魏に打撃をあたえることができます。」
田忌がこの策に従うと、魏軍は趙の都の邯鄲から撤退して斉軍と桂陵で戦うことになり、斉軍は大勝した。
『史記 孫子呉起列伝』
※「豎子の名を成す」に続く
※兵法三十六計の一つ「囲魏救趙の計」はこの故事に由来

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