助長
意味:助けようとして害になる
浩然の気
意味:物事にとらわれない大きな心
(告子が「義」は心の外にあると考えたのに対し、孟子は「義」は心の内にあると考えていた。)
公孫丑が言った。「あなたはどこが告子よりも優れているのか。」孟子が言った。「私は人の言葉がよくわかる。また、私は浩然の気を養っている。」公孫丑が言った。「浩然の気とは何か。」孟子が言った。「言葉にするのは難しい。浩然の気は、至って大きく、至って強く、正しく、養って害することなければ、天と地の間に満ちるほどになる。浩然の気は、義と道と一緒にあるので、義と道がなければなくなってしまう。これは義を行ううちに自然に生じるもので、外から取れるものではない。心にやましいことがあるとなくなってしまう。だから私が『告子は義を理解していない。』と言ったのは、告子は義を心の外にあるものと考えているからだ。浩然の気はいつも他の事と一緒なので、決して浩然の気だけを目的としてはいけないし、浩然の気を忘れてもいけない。宋の国の人のように助長してもいけない。宋の国の人に、苗が成長しないのを心配して、これを引っ張るものがいた。疲れて家に帰り、家の人に語って言った。『今日は疲れた。私は苗を助けようと引っ張ってやった。』その子が走って畑に行ってみると、苗は枯れていた。天下には苗を助けようと引っ張るのと同じようなことをする者が少なくない。無益だとして浩然の気を捨ててしまうのは、苗の草刈りをしないようなものであるが、苗を助けようと引っ張るのは、苗を抜いてしまうものである。無益なばかりか、有害である。」
『孟子 公孫丑 上』

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