隣人の父を疑う
意味:同じことをしても立場が違うと疑われる
知に処すること則ち難し
意味:知ることよりも、知ってどうするかが難しい
昔、鄭の武公が、胡を攻めようとした。そのため、まず自分の娘を胡に嫁入りさせて、機嫌をとった。そうして臣下たちに尋ねた。「私は戦いを起こそうと思う。どこを攻めるべきだろうか。」大夫の関其思が「胡を攻めるべきです。」と答えて言った。武公は怒って関其思を殺し「胡は兄弟の国である。お前がこれを攻めるべきと言うとは何事か。」と言った。胡の君主はこの出来事を聞き、鄭が自分を親しく感じていると見なし、鄭に対して備えなくなった。そこで、鄭が胡を襲撃して支配してしまった。
宋の国に富豪がいた。雨が降って塀が壊れた。富豪の子が「塀を築かないと必ず泥棒に入られる。」と言った。富豪の隣に住む老人も、また同じことを言った。夜になって、果たしてたくさんの財産がなくなってしまった。富豪の家では、富豪の子のことを大変賢いと思うとともに、隣に住む老人を疑った。この二人の言ったことはどちらも当たっているが、ひどい時には殺され、そうでない時でも疑われることになった。すなわち、本当のことを知ることが難しいのではなく、知ったことにどう対処するかが難しいのである。
秦の国の繞朝という人物が、晋の国の計略を見破ったさいも、その言葉は当たっており、晋では聖人とされたが、秦では疑われて殺されてしまった。これはよくよく考えなければならないことである。
『韓非子 説難』

コメント