太公望
意味:釣り人
太公望と言われた呂尚は、東海のほとりの出身である。その先祖はかつて東西南北それぞれを統括する四嶽の一人として、禹を補佐して治水を行い、大きな功績があった。舜や禹の時代には、呂の領主に任じられたり、申の領主に任じられたりした。姓は姜氏である。夏や殷の時代には、申や呂は分家の領地となったこともあり、本家の子孫の中には庶民になる者もいた。尚はその庶民となった者の子孫である。本来の姓は姜氏であるが、その領地の名を姓としたので、呂尚という。
おそらく、呂尚は貧困の中で年老いたのであろう。魚釣りをしながら、後の文王である周の西伯に知られようとした。西伯が狩りに出ようとして占ったところ、「獲られるのは竜ではなく、黄色い竜でもなく、虎でもなく、羆でもない。獲られるのは、覇王を輔佐する者である。」と出た。こうして周の西伯が狩りをすると、呂尚と渭水の北で遇った。西伯はともに語り合って喜んで言った。「私の祖父の太公は言っていました。『聖人が現れて周に来るだろう。周はその人によって盛んになるだろう。』あなたこそそのお方でしたか。太公は、久しくあなたを待ち望んでいました。」
こうして呂尚を太公望と呼び、自分の車に一緒に乗って帰り、師匠としたのである。
『史記 斉太公世家』

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