山に躓かずして垤に躓く

故事成語

山に(つまづ)かずして(てい)(つまづ)

意味:大事は注意するため失敗しづらいが、小事は不注意で失敗しやすい

 重い刑罰は人を罰するためにあるのではない。賢い君主の法律は、功罪をよく計算する。(ぞく)を治めるとは、功罪を計算し終わったものを治めることではない。功罪を計算し終わったものを治めるのは、死人を治めるようなもので無意味である。盗人を処刑するとは、処刑したものを治めることではない。処刑したものを治めるのは、受刑者を治めるようなもので無意味である。ゆえに「一人の悪人の罪を重くして、国内の邪悪を防止する。」と言われている。これこそが国を治める方法である。重く罰せられるのは盗賊であり、盗賊によって(いた)(おそ)れるのは良民である。国が治まることを望む者は、どうして重い刑罰に疑問を持つだろうか。また、恩賞を厚くするというのは、一人の功績を賞するためにあるのではない。国中に推奨するのである。恩賞を受ける者は利益を喜び、賞されていない者は業績をあげようとする。一人の功績に報いることで、国中の民衆に推奨するのである。国が治まることを望む者は、どうして厚い恩賞に疑問をもつだろうか。

 今、国を治めることを知らない者はみな、「刑罰を重くすれば民を傷つける。刑罰を軽くしても悪事は()む。どうして重い刑罰が必要なのだ。」と言う。これは国を治めるということが分かっていない。そもそも重い刑罰があるという理由で悪事を()める者は、軽い刑罰があるという理由では悪事を()めるとは限らない。しかし、軽い刑罰があるという理由で悪事を()める者は、重い刑罰があるという理由では必ず悪事を()める。こういうわけで、上に立つ者が重い刑罰を設けると、悪事はことごとく()み、悪事がことごとく()めば、民は傷つかない。いわゆる重い刑罰とは、悪人の利益が小さく、上に立つ者があたえる罰が大きいのである。民は小さな利益のために大きな罪を犯すことはない。だから悪事は必ず()む。いわゆる軽い刑罰は、悪人の利益が大きく、上に立つ者があたえる罰が小さいのである。民は利益を求めて罪をあなどる。ゆえに悪事は()まない。聖人の(ことわざ)に「山に(つまづ)かずして(てい)(つまづ)く」というものがある。山は大きいため人々が注意するが、(ありづか)は小さいため人々があなどるためである。今、刑罰を軽くすれば、民は必ず刑罰をあなどる。罪を犯して罰しないのであれば、国中の人々を駆り立てて見捨てることである。罪を犯して罰するのであれば、民に落とし穴を設けることである。ゆえに、軽い罪というのは民にとっての(ありづか)である。罪を軽くするという方法は、国を乱さなくとも、民に落とし穴を設けることである。刑罰を軽くすることこそ、「民を傷つける」というべきである。

(かん)()() (りく)(はん)

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